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[史跡第339号-1991.01.09.]
慶基殿は、朝鮮の建国後に太祖御真を祀るために太宗10年(1410年)に建てられた建物である。太祖御真を祀っている所を御容殿、太祖真殿などと呼んだが、1442年(世宗24年)に慶基殿と命名された。その後、慶基殿は宣祖30年(1597年)の文禄・慶長の役の時に焼失したが、光海君6年(1614年)11月に再築された。慶基殿は周辺の景観がすばらしいため、歴史ドラマや映画のロケ地として注目を浴びているスポットでもある。
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* 毎月の最終水曜日の「文化がある日」は、無料で入場できます。
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[国宝第317号-2012.06.29.]
朝鮮の太祖李成桂の肖像画。王の肖像は先祖を敬うという意味だけでなく、王室の永久の存続を願う意味もあり、特に太祖は建国始祖としてより象徴的な意味をもつ。
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全州慶基殿正殿
[宝物第1578号-2008.12.01.]
慶基殿の本殿で、1410年(太祖11年)に建てられた。慶基殿は太祖李成桂の御真を奉安し、祭祀を行うために建てた3ヶ所の殿閣のひとつであり、大きく本殿である正殿と英祖代に別途に建てられた肇慶廟区域に分けられる。正殿は文禄・慶長の役の時に焼失し、1614年(光海君6年)に再築され、1872年に太祖御真を新しく模写して奉安しながら大々的に補修された。
下馬碑
[全羅北道有形文化財第222号-2013.11.15.]
下馬碑には「至此皆下馬雑人毋得入」と書かれている。ここを通る者は身分の高低に関係なく全員馬から降りなければならず、部外者の立ち入りを禁ずるという意味である。朝鮮王朝の象徴である太祖御真を奉安した所なので、ここの守門将は威力が強かったものと思われる。
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[史跡第288号-1981.09.25.]
1907年から1914年にかけて建てられた殿洞聖堂は、殉教地を保存している信仰の発祥地である。処刑地であった豊南門の城壁を壊し、その石で聖堂の礎石を建てたという。曲線美を最大に生かした湖南で最初に取り入れたロマネスク様式とビザンティン様式が美しく、東洋で最も雄大な聖堂建築物に数えられる。
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殿洞聖堂司祭館
[全羅北道文化財資料第178호-2002.04.06.]
司祭館は、本堂を建てた後に2大主任神父であったラクル(韓国名:具馬瑟)神父が1926年に建築した。1937年には全州教区の庁舎と教区長の宿所として使用され、1960年以降からは主任神父と補佐神父の生活空間として使用された。ルネサンス様式にロマネスク様式を加えた折衷式の建物で、外観が美しく、当時の建築技法がうかがえる歴史的な価値が高い建物である。
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[史跡第379号-1992.12.23.]
全州郷校は高麗時代に創建されたと伝えられており、現在の建物は朝鮮時代の宣祖の時に建立されたという。大成殿の中央には孔子、顔子、子思、曾子、孟子の5人の聖人の位牌を祀っており、大成殿を中心として左右に東廡と西廡があり、正面には日月門、その前には萬化楼がある。大成殿の後ろの屏の間に明倫堂があり、西側には蔵書閣、啓聖祠、養士斎と司馬斎、そして周囲に校直舎などがある。
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全州郷校の大成殿
[全羅北道有形文化財第7号-1971.12.02.]
大成殿は孔子を祀る祠堂である。朝鮮時代には儒教を統治理念とし、郷校に孔子を祀る祠堂を置いて儒学を奨励した。この大成殿は孝宗4年(1653)に再建し、大韓帝国の隆熙元年(1907)に修理して今日に至っている。
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[宝物第308号-1959.12.18.]
全州府城の4大門の中の南門で、高麗恭譲王元年である西暦1389年に全羅観察使の崔有慶が全州府城と共に創建した。朝鮮王朝の英祖43年(1767年)に焼失し、英祖44年(1768年)に全羅観察使 の洪楽仁が再築したが、以前のような三層楼ではなく現在の姿に修築し、その時から豊南門と呼ばれた。1905年に朝鮮統監府の廃城令により、全州府城の4大門の中の豊南門以外の3大門は同時に撤去され、現在の豊南門は韓屋村と南部市場を結ぶ主要な位置にある。
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[全羅北道記念物第16号-1974.09.24.]
梧木台は、李成桂が倭寇の群れを征伐し、勝ち鼓を打ち鳴らして開京に戻る時に宴会をした所である。ここで李成桂は漢を創建した劉邦が歌ったという大風歌を読み、自分が新しい国を建てるという野心を抱いた。梧木台と梨木台には高宗の親筆を刻んだ碑石と碑閣が建立されている。
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[全羅北道有形文化財第15号-1971.12.02.]
寒碧堂は僧岩山の麓にある鉢山の絶壁を削って建てた楼閣で、寒碧晴煙(寒碧堂から眺める霧が美しいという意味)と言われ、全州八景のひとつに数えられる。寒碧堂は全州のみならず湖南の名勝として知られ、文人墨客が絶え間なく訪れた所で、たくさんの詩が伝わっており、その当時の風流をうかがうことができる。寒碧堂という名前は碧玉寒流という文句からとったもので、後世の人が名付けたものと推定される。
[全羅北道民俗文化財第8号-1976.04.02.]
学忍堂(母屋)は、朝鮮王朝の性理学者である趙光祖の弟子である白楽中先生が1905年から2年8ヶ月間、白米8,000叺の工事費と4,280人の人員を投入して1908年に完工した、朝鮮末の伝統建築技術がよくわかる建物で、ミスター・サンシャイン(2018年)のロケ地として有名になった。忍斎・白楽中先生の4代直孫が直接居住して伝統文化体験施設として運営し、伝統文化を継承・普及している。